ヒト故に、

佐々木は佐々木で在り、ヒトでは無い。

夜にくつろぐ。

紅茶を飲み、ピアノの音源を聴きながら、日記をつける。

 

同居人のナイトルーティンは出来上がりつつあった。

 

ある時リラックス出来るものを探せ、と助言を受けてからというものの同居人は様々なものを試した。

 

アロマオイル。否、違う。眠気を誘う香りはあれどリラックスというより手持ち無沙汰でソワソワと落ち着かないのだ。

 

好きなアーティストの音楽。否、違う。歌声が頭に響いて聞こえるのだ。そして好きが故にかえって高揚して眠れなくなるだろう。

 

絵を描くこと。否、違う。確かに気分は払拭され楽しい気分にはなる。だがそこに没頭して離れられなくなる集中力が付きまとうのである。

 

どれも素晴らしいことで、内容に不備など存在はしない。ただ同居人にとっての夜には合わなかっただけなのだ。時間さえ異なれば、それは打って変わって魅力的なものへ変化する。

 

人間は計り知れない。

多様な人間が居るからこそ苦しめられることもあるが、生み出された沢山のものに助けられている。

 

様々な香りのアロマオイルも、奏でられる歌声も、絵の具も筆もスケッチブックも。それに加えて沢山の味の茶葉も、ピアノも、ノートブックも。全ては人間が生んでいるのだ。

 

この世は可能性に溢れかえっているものばかりだ。それなのに使い方を間違えれば凶器になりうるものもこの世には存在する。何故人間は使い方を誤るのだろう。

そもそも同居人が正しく使っているものも、製作者が意図した使い方と合っているとは限らない。

生み出した親にしか、判らない。

 

 

佐々木には判らない。