未来を恐れる。
「フラワーアレンジメントの教室、お試しで良いから行ってみないかな。」
同居人は心の病気だ。
外出を避ける。
「人は多くないし、時間も短いよ。それに人と人とのお喋りは少なくて、席もバラバラ。皆黙々と自分のことに集中して、作業をしているよ。行ってみたらどうだろうか。」
どうやら同居人のために人数や時間を考慮し、さらには同居人が好む物作りで息抜きになれば、と提案してくれたらしい。
こんな有難い話は無い。
当然初めは同居人も喜んでいた。
「こんな自分でも行けるかもしれない。」
ところが段々不安になる。
突然、又は当日。急に体調不良になったらどうする。予約していたのにキャンセルしてしまうことになるだろう。花が余って迷惑がかかる。
初めてで、判らないことだらけで、何度教えを乞えば良い。先生に迷惑がかかる。
自分の作業が遅いせいで、周りが待つことになったらどうしてくれようか。周りに迷惑がかかる。
思考は止まらず駆け巡る。
一度不安と云う穴に躓くと、人間はマイナス思考の沼にハマって抜け出せなくなる。それも、水気の多い泥が詰まった深い深い沼の中へ。
ところが提案者は続けた。
「初めてだから出来ないのは当然だ。先生も付きっきりだし安心でしょう?終わった人から帰るから焦らなくて自分のペースで良いんだよ。」
優しく、肩をポン、と置いた。
「上手く出来なければどうするの?」
「他人と比較する必要は無いよ。」
「それでも比較して落ち込んでしまいそうなんだ。」
「自分が楽しむことを第一に考えようよ。」
「誰のために作れば良いの。」
「自分のため。自分が好きなようにすれば良いの。本心の赴くまま。」
それを聞いた同居人は考えて、考えて、考えた。
「人に渡しても良いかな。渡したい人が居るの。それは誰かの為じゃない。自分がしたいと思った、本心の赴いた結果。そうだよね。それだったら、良いかな?」
「勿論良いよ。」
「ねぇ、」
「うん。他には?」
「やりたい。フラワーアレンジメント。」
同居人は、否、人間は迷惑をかけることを何故極端にも怖がるのだろうか。未来を恐れるのだろうか。
それは未知の塊そのものだからだろうか。
佐々木には判らない。