幸せに恐怖を感じる。
同居人は唱える。
「この世には幸福量保存の法則が働いていると考えているのだ。」
さも学者のように、真剣な顔をして。
勿論かの質量保存の法則に準えている。同居人なりの造語に過ぎない。
小さな不幸が在れば、小さな幸せが訪れる。
大きな不幸が在れば、大きな幸せが訪れる。
小さな不幸が降り積もれば、大きな幸せが押し寄せる。
幼子より人並み以上に不遇な出来事が起こる同居人は、何故か小さい不幸に見舞われる。自他共に認める可哀想な子であるが、かと言って全てが不幸と片付けられる訳でも無い。
人生を決める大きな出来事では今まで溜め込んでいたかのように、うんと運気を解き放つ。
そんな同居人が生み出したこの考えを、自分に洗脳のように言い聞かせているのだ。
勿論、ポジティブシンキングに越したことは無い。
ところが同時にこう考えることもあるそうだ。
幸福量保存の法則。つまりは辛さと幸せの量は釣り合うと云うのであれば、逆も同じなのでは無いか、と。
「自分が幸せになった時、同じ分だけ不幸が来るのでは無いだろうか。一寸先は闇。その後にどうなるのかが判らない。幸せになることが怖いのだ。」と。
嫌な面から目を背けることは果たして何処までが許されるのであろう。
人間は何時から逃げ始める準備をするのであろう。
いや、何処から何処までが向かい合うべき事柄なのだろうか。
そもそも幸と不幸の線引きは何処からなのか。
佐々木には判らない。