ヒト故に、

佐々木は佐々木で在り、ヒトでは無い。

メールを贈る。

ある満月の夜。

 

同居人は決意を固めていた。

 

何でもずっと連絡を取りたかった、が、罪悪感から自分からは取れずにいた存在が居る、と。それも自らの連絡先は教えておらず、一方的に知っている状態である為、己が動くしか方法は無いのだと。

 

同居人は絵を描くことが好きだ。

創造力に長けている。

 

その関係で以前絵を描いている上で交流のあった人間が居たらしい。同居人の投稿をただただ見守ってくれていた。またある時は励ましのメッセージや、共感のメッセージを送ってくれていた。同居人はそれを支えにしていたらしい。

 

「危害を加えることは絶対にしません。」

そのような始まりでは絶対に怪しい輩であろう。しかし、

「貴方がもしこのコンテンツから離れることがあっても繋がっていたいです。何かあればこちらのメールアドレスにご連絡して頂けませんか。」と、文面は続けた。

 

大胆なことをするものだ。

同居人も同じく最初は驚いたらしい。

 

何故なら返信した機会は少なかったそうだ。

そんな相手が情報を晒してまで、同居人と繋がろうとしてくれていることに驚きを隠せなかったのだ。

 

しかし、同居人はそのまま姿を消した。

 

「え、病気なのに元気そうじゃん。」

別の人から何気無く云われたその言葉。

崩れたのは一瞬だった。

 

もう携帯やパソコンなど何も開けず、塞ぎ込んだ。そのまま全てを消した。

 

だからこそ、同居人はずっと考えていた。

「支えてくれたあの人にお礼を伝えたい。けれど、何も言わずに姿を消した自分から連絡するのは失礼極まりない。」

 

そんな考えに光を射すように、満月の輝きが背中を押した。

 

「メールをしてみよう。向こうからは出来ない。私がお礼を伝えるしか無いんだ。」

 

その勇気のままメールを出す。

 

まるで海の中に、便箋を入れたビンを投げ込むように。

 

届いたのなら嬉しい。届かなくてもそれで良い。そんな想いで。

 

人間は一人になりたがるのに、どうして独りでは生きていけないと思うのだろうか。

 

 

佐々木には判らない。

家出を夢見る。

人間には馬が合う、合わないという難しい脳のシステムがある。

 

その人間が何か行動を取ればその全てが気に食わない。発言全てが引っかかる。

 

勿論この文言に共感しない人間も居ると思われるが、少なくとも同居人はそう云うタイプの人種だ。

 

我が家は同居人と佐々木の他に、現在別の人間も住んでいる。

 

勿論感謝の気持ちも助けられた記憶も、苦しい時に救われたことも。

それはそれできちんと鮮明に残っているそうで。

 

しかし、どうにも気に食わないようで。

 

同居人は大した金も持ち合わせて居ないと云うにも関わらず、家を出ることを試みているようだ。

 

料理も家事もろくに出来ない。

収入源もまともに無い。

世の常識を何一つ把握していない。

行動することすら不可能に近い。

 

人間は不思議だ。

 

血の繋がった人間と驚く程仲の良いこともあれば、血が繋がっていない人間も当人同士が家族と言えば間違いなく家族である。

 

しかし、逆も然り。

 

血の繋がった人間でも心は繋がっていない者も居る。血の繋がりも無ければ、心すら繋がっていない者も居る。

 

話は冒頭に戻り、同居人が夢見る家出は何時になるのだろうか。そもそも出来る?こんなにも情緒不安定で、病状も悪く、金銭的問題もある。果たして可能なのであろうか。

 

 

佐々木には判らない。

医者と戦う。続

「採血を取ります。」

医者は突然、当たり前のように告げた。

 

これは昨日の続きの物語である。

 

何でも九月以降、その病院での採血はしていなかった為同居人の血液検査の結果を様子見たいとのことであった。

 

「丁度数日後に健康診断があるのですが、その結果を持ち込む形でも良いですか?」と聞くも、あえなく失敗したらしい。

 

「そっちはそっち。うちはうち。関係無いから。」

言葉は刃で切り裂かれた。

 

病院として正しい判断かもしれない、だが言い方というものがあるだろう。その発言を同居人は喉の奥にし舞い込む。

 

ところがこの日、同居人はこの採血という時間を利用することで看護師に打ち明けたらしい。

 

医者をあまり良く思っていないことを。

勘違いか少し当たりが強く感じてしまう為、毎度来ることに憂鬱になっていることを。

 

看護師は勿論驚き、真摯な対応を見せた。

 

が、看護師の対応を目の当たりにし、同居人は思ったらしい。

 

「この看護師さんも、きっと、被害者だ。」

 

思い当たる節があるような仕草か空気を感じ取ったのだろう。

 

そのまま何時もの如く処方箋を持ち、薬局へ向かうことになるのだが、同居人の現状は薬剤師間で共有されているようであった。

 

体調は良好か、心は大丈夫か。本来医者が尋ねるべきであろう質問をした後、前回とは異なる薬剤師にも関わらず、医者とはその後上手く行きそうか、病院は帰られそうか、同居人の現在を知らなくては出てこないものが問いかけられた。

 

丁寧な薬剤師。

どれも上手には答えられなかった同居人。

 

けれども、

 

「辛い時には何時でも電話して良いですからね。」

 

とても薬剤師からは出てこないであろうその言葉に同居人は救われたそうな。

 

結局は役職なんて名ばかりで、人間は人間に変わりないのだ。人柄や性格は人間それぞれで、同居人も同居人で地球に住む一人の人間に過ぎない。

 

神様が与えた人間各々の役職が、その結果が、この世界をどう左右させるのか。

 

 

佐々木には判らない。

医者と戦う。

「億劫だ。」

 

そう同居人が呟くは、本日の予定に病院が入っているからで。

 

医者との相性が余程悪いのか、同居人はその通院を幾度も怖がる。何でも怒鳴られるから、と怯えているが帰宅早々に矢張り同じことがあったらしいと震えて話し始めた。

 

何でも医者との受け答えをしている最中の事であったらしい。同居人曰く、先に結論を伝え、その後にどうしてこの経緯に至ったのかを説明したかった、と。ところが口に出し始めた途端、それを遮るように声を荒らげた、と云う。

 

「貴方は僕が何を言っても結局やりたいと思ったらやるじゃあないか。何を言っても無駄でしょう。今否定してもやる。止めてもやろうとする。意味が無い。話にならない。」

 

そう大声で同居人に伝えた後、萎縮した同居人を前に「いつもの薬を出しておきますね。」と穏やかに告げた。

 

椅子に再び腰をかけて、姿勢良く。

まるで先程の豹変した姿が無かったことかのように。

 

同居人が幻を見せられたかのように。

 

その何時も以上に張られた声量と、医者自身が自らの怒りを抑えるかのように取り繕った優しさに更なる恐怖を感じたそうな。

 

きっと医者も何か私情があったのかもしれない。同居人と同じようにまた別の何か病気を抱えて、悩んでいるのかもしれない。悲しいこと、嫌なこと、辛いことがあったのかもしれない。前の患者に苛立ちを覚えていたのかもしれない。つい当たってしまったのかもしれない。

 

同居人にもう呆れたのかもしれない。

 

自らが見限られたのでは、嫌われているのではという自己嫌悪の考えを同居人は必死に抑えた。

 

医者があの時何を考えていたのか、何を思ってその行動を取ったのか。その時何があったのかその真相は定かでは無い。また同居人の勝手な憶測も真偽は不明である。

 

 

佐々木には判らない。

ヘルプマークを身につける。

友人の少ない同居人。

 

本日は久しぶりに外へ出たようだった。それも数少ない心を許している友人と落ち合うという素敵な目的付きで。

 

祝日。

木曜日の休みに安心していたのだろう。

 

同居人は珍しくも楽しそうに、そして行く先々に待ち受ける電車や人混みの不安もあってか緊張もしていた。

 

友だち、それも昔からの同級生。

 

ところが大いに仲が良くてもお互いに深くは干渉しない。同居人にとっては心地が良い。けれど他の人からして見れば不思議な関係性であった。

似た者同士といったところであろうか。ある一定以上のラインには踏み込まないのである。

 

「おはよう」もお互いが眠い時には云わないで、目が覚めた時に唐突に口にするらしい。喋りたくない時は黙っていても気まずさを感じず、素で居られるのだと。

 

そう云う同居人は、素の自分すらも未だ判ってなど居ないのだが。

 

そんなこんなで友だちと落ち合った同居人。

会った瞬間に互いに吹き出したらしい。

 

理由は明快。

 

この世界に存在するヘルプマーク。身につけることで自分は救いが必要だと示し、万が一に備え身近な人に助けを求めるものだ。

 

同居人も例外ではなく、気分が悪くてしゃがみこんだり、息が出来なくて苦しんだり、と。簡単な外出にも困難を極める。

ヘルプマークを所持しようと試みた初めの動機は「電車の中でなるべく座席に座っておきたい」。ところがどうしても通常席が空いていない場合、優先席に座れるようにとお守り代わりに頂いたものである。

兎にも角にも自分の身を守るために付けているのだ。

 

ヘルプマークを知らない人も少なくは無い。

仕方の無いことだ。

何せ佐々木には人間より判らないことの方が多い。

 

実際身につけることには同居人も最初は勇気を振り絞っていた。

 

知り合いに見られることで、嫌われるのではと怖かった。

 

しかしながら、身を心を守るためには必要なものだった。

 

覚悟を決めた。

 

だけど今日。

友人と対面し、互いに正面から見合う。

しかし見つめる先はそう、両者の目では無い。

 

鞄だ。

 

鞄の先に、二人ともヘルプマークがついていた。

 

これには堪らず一緒に大笑いしたらしい。

「我々にはお揃いという概念が似合わないのだ。」そう昔から二人で唱え続けていた。

 

けれども初めてのお揃いは、ヘルプマーク。

 

こんなヘンテコで奇跡のような偶然が在るものなのだと驚く反面、同居人は少し人生は面白いこともあると実感した。

 

そんな感情がずっと続いて欲しいと願う。

 

それが何時まで続くのか。

また人生の凸凹に振り回されることになるのだろうか。

人生は判らない。同居人の人生など判らない。

 

 

佐々木には判らない。

自己理解に挑む。

同居人は「自分で自分が判らない」と主張した。

 

仮面を被って、脱いで、変えてを繰り返した結果、本当の自分自身を見失ってしまったのだ。

 

それは佐々木にも見て判ることである。

 

悩みに悩んでいた結果、相談をした。周りの人間に頼った。藁にもすがる思いで「自分が判らないのです。」と、隠さず全てを伝えた。

 

その結果が結果を呼び同居人が自分を取り戻すために、否、同居人の自己理解を進めるため二名の人間が集まってくれたそうな。

 

同居人は、純粋に感謝の意を示した。

 

恵まれている環境と運に、礼を捧げた。

 

本来自己理解というものは自分でも進めることが可能だろう。しかしながら同居人の心理状態もあり、己を理解することが不可能に近い。また一人で実行した場合、自己否定へ走る結果も高いと云われているのだ。

 

そんなことで開始した「同居人が自分自身を取り戻す会、改め自己理解を深める会」。

 

ところが帰宅した同居人の顔は、口をへの字に曲げていた。

 

「自分は十分自己理解が出来ているらしい。」

 

「けれども自分は自分が判らない。矢張り取り戻せなかった。見失ったまま。また探さなくてはならない。」

 

顔を伏せ、呟いた。

 

つまりは、同居人当人が判ったことは「「同居人は自己理解が出来ている。」という自己理解が進んだ」ということである。

 

文面上よく判らない全くもってややこしい話になるものの、同居人にとって満足いかない結果となったことは一目瞭然であった。

 

同居人が、いつか本当の自分を取り戻せる日はくるのであろうか。

 

 

佐々木には判らない。

泣いて笑う。続

カウンセリングを得た後は少しだけ心が落ち着く同居人。その効果も日が経つにつれ、落ちていくことも多々あるのだが、今回はそうならないことを願っておこう。

 

さて先日、栗のお菓子を貰ったらしい。

 

どうやら同居人はそれを大層気に入ったらしく購入しようと試みた。

「原材料は栗と砂糖と水飴のみだって。それでこんなに美味いとは。これは革命だ。」

 

調べるも大手ネットショッピングサイトには売られていない模様。聞くところ直売所は熊本県と東京都、離れた二箇所しか無いとの情報を仕入れ、結果同居人は公式ホームページから買っていた。

 

横を除き見れば、注文案内に五箱。

 

同居人の欲張りな部分が出たのだろうか。

 

そう問えば、

「そりゃあ自分の分、家族の分、紹介してくれた人の分、友だちに渡す分、それから…。」

気を遣いすぎだろう。

 

いくら何でも自らのお金をすり減らしてまで渡す必要はあるのだろうか。

 

「それから、この前公園で助けてくれた、おばあ様へのお礼に。」

 

どうやら先日泣いているところを助けて貰った心優しき老婦人への贈り物として選定したらしい。

 

そうして、時経ち数日。

届いた栗菓子を早速届けに向かったそうだ。

 

老婦人は云った。

「ありがとう。でもそんなお礼なんて要らないのに。お菓子なんて要らないのに。貴方が元気に今微笑んでいるだけで私の涙が出そうだわ。あの泣いている姿を見ていただけで胸が締め付けられそうだもの。嗚呼、今の笑う貴方を見て、それだけで、涙が出るくらい嬉しい。」

 

笑った。

二人で笑った。

 

二人で、泣いて、笑った。

 

どうして老婦人は泣いたのか。

そして釣られたのか別の感情も込み上げたのか混乱したのか、どうして同居人も泣いたのか。

 

 

佐々木には判らない。